2016.05.17

圧縮干粮

Kuri

 九里徳泰さんに憧れた。とても真似はできませんでしたが。

 こぼれでたものか横流し品か(ここらあたり規律がヘンにユルい)、当時は人民解放軍からコンバットレーションとして761圧縮干粮が出回っていました。この頃「地球の歩き方」などを片手に神戸や大阪から(沖縄行きの中古の)フェリーに乗って上海に上陸し、硬座で移動するのが旅行の醍醐味だぜ!などとワケの分からないポリシーに燃えていた私、買い込んだ人民の方便麺が涙が出る程にまずかった。泣く泣く手にした761、あまりの味の差に驚きました。「おいしい」と言うより、まず「味がある」。とにかく濃いのです。過酷な状況に現れいでた女神様。

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 持った感触はカチンカチンです。フカフカ感はぜんぜんありません。それにズシリと重い。頭で打ったらケガするんじゃないかと言うぐらいです。固いですが割ってみました。....確かにカロリーメイトっぽいうまさですが、それをラードで固めて冷やしたような味でしょうか。ロケットニュースでは上等なショートブレッドみたいな味とか今すぐアフタヌーンティーしたくなるレベルと紹介されていましたが、残念ながら私が食べた時には冷静に味を比較できる環境下ではなかったのでコメントは控えます。もちろんまずくはないです。余談ですがここではコンバットレーションと言わずミリタリーフード、略してミリメシとなってます。俗称でしょうね。時代だなぁ。

 今はカップ麺もわりと食べられるようになりました。圧縮干粮も761から90に変わっているそうです。昔現地ではえらく安かった気がしましたが、先日ちょっとネットショップで覗いてみたら1パック2,000円あまり。ご時世なのか、輸入の途中で誰かがボッてるのか。コストパフォーマンスを考えてあきらめました。残念。

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2016.02.10

六四南台大震!

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 先週の土曜早朝、台南付近でどえらくグラグラ来ました。日本同様に台湾も地震帯です。ほとんどは大きく揺れて棚の上がどっちらけになったりしたもののなんとかやり過ごせましたが、若干やり過ごせなかった建物がありました。なんともおいたわしい。直下型なので初期微動からいきなりドスンと凄まじくぶっ飛んだ時、その衝撃に耐えられずあえなくポキリとへたって車道側に倒れ込んでしまいました。年末の午前4時ちょっと前、500名もの方々が眠っているさなかでした。

 倒壊からすでに85時間以上たちました。現地では連日連夜生特番で倒壊したビルからの救出作戦を報道しています。もともとそれほど大きな場所ではない上に瓦礫が積み重なり、救助は困難を極めています。下手に機材を持ち込もうとすると機材自体の自重で圧死しかねません。ここは中国ではないのです。こちらで住所をググってみました。台南市永康區永大路二段....ここって私がいた時代は台南懸永康市だった筈。

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 左の檳榔屋さんは壊れてないそうです。街角的薔薇。右が倒れてしまったビル。グーグルなので地震の前の画像が出て来ます。記憶のある看板がある人もいますが、私の在籍期間はわずか9ヶ月でしたのでもう覚えている人はほとんどいないでしょう。台湾南部に拠点を持つ家電量販店です。本社は一応台北ですが南部が重点。どちらかと言うとメーカーより販売の会社。

 テレビのスイッチをつけるともう、壊れた画像なので見ているのがつらいです。昼と言わず夜と言わず「いま○棟○階から○歳の子供の遺体が」と、その方ひとりひとりの背景や遺族の嘆きの場面が延々と流されています。合掌。

 倒壊現場を見ると鉄骨が細い細い。これではあめ玉のようにくにゃっとへしゃげるのもうなずけます。そして目立ったのが一斗缶。手抜き工事の象徴と言われ、一部では強度不足の原因ともされているようですが、一斗缶自体は強度不足の直接原因ではありません。しかし手抜きには違いない。乾く前のコンクリートに適当なものを詰め込んで事後確認もせず、と言うズサンさがモロに現れています。自分の建物に対しての愛情がない。ビルが可哀想です。

 くだんの物件は完成前に業者が倒産....とみせかけて、改名して別人になりすましてアヤしい建築を繰り返していました。ヤバくなったら一度香港経由で華南幫を頼れば人間を洗えるのが台湾。あんまり関係ないですが数年前に龍崗あたりで「台湾でコロシやらかして逃げて来ちゃったー」と言う小売り屋の兄ちゃんにも会いました。建築の一団はさすがに今回とうとう司直の手がまわったそうです。
 
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 さて台南と聞いて思い出されるのが自分が住んでいた文化大廈。在籍9ヶ月だけと言っても初の転職先、そして最初の海外駐在先、しかも街なかに日本人ひとりっきりと言う状態。週末ともなれば台湾人は田舎に帰り、ひろい部屋に私だけ。友人から借りた自転車であちこちお出かけしました。こちらもググってみましょう。

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....文化大廈が消えています....

 悲しいかな、この付近一帯は数年前に再開発がおこなわれてビルが撤去され、公園になっていました。何でしょうかね。ミノルタがカメラ事業を手放した事より、技術センターが芝生になった事の方が寂しい。台南の文化大廈の事なんか、もう誰も覚えてはいない。残るのはただ私の記憶の中だけです。忘れていなければね。南無。

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2007.06.08

消滅!スターフェリー乗り場

 それは去る4月1日、うちの事務所が華僑城から羅湖に移転したので、お客さんの香港空港への移動手段を事前確認すべく香港に行った時の事です。

 事務所から徒歩で20分でもう羅湖口岸。近くなったなぁ。通関をすませてKCRで一駅、上水を降りると左手にすぐエアポートバス乗り場が。A43の番号を確認。せっかくなので乗ってみた。70分で香港空港に到着。

070608_a43

 う〜ん、日曜にここまで来たのだから、ちょっと街にも行ってみたい。かと言ってエアポートバスは飽きた。エアポートエクスプレスは高い。ここはせこく青衣までバスに乗って、そこから地下鉄東涌線に。この方法が一番安いのです。

 香港島に着いて、ふと気が着いた。今日はかのお方の命日でありました。と言う訳でマンダリン・オリエンタルまで歩く。その時の写真はこちらにあります。

 日曜とは言え仕事も切羽詰まっていたのでさっさとKCRで帰ろうと思い、いつものスターフェリー乗り場に向かいました。マンダリン・オリエンタルのそばに地下通路への入り口がありますので、その階段を降り、北のスロープを上がれば真正面がスターフェリー乗り場....

....の筈なんですが、なんと行く道は塞がれておりました。工事中??スターフェリー乗り場が....ない.....

....のではなく、移転したとの事。スターフェリー乗り場は左に歩いて下さいとの貼り紙がありました。仕方なく郵便局の前をとことこ。そして郵便局の西側から北に向かう道を歩くのだそうです。


歩くのだそうです.........


歩くのだそうです.........


歩くのだそうです.........


......お〜い、


......どこまで歩かなあかんのや....


......


......


....ようやく新しいスターフェリー乗り場が見えてきました。疲れた....。

070608_ferrypier

 言っちゃあなんですが、香港ディズニーランドの建物みたいに造りっぽいと言うか玩具っぽいと言うか、貫禄のない物に変わっちゃいましたね。

 フェリーから見るとこんな感じです。

070608_ferrypier2



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 で、前のスターフェリー乗り場と思われるあたりはこんな感じ。乗り場が木っ端みじんに破壊され、面影も何もありません。

070608_oldpier

 すみません。実はご存じの方はとっくにご存じなんですね、この情報。スターフェリー乗り場が移転したのは、昨年の11月なのです。今さらの情報で申し訳ない。ただ、やはり自分で経験すると、あまりにショックだったので。位置的にはどう移転したのか、下の地図をご覧ください。

070430_map

 九龍側のスターフェリー乗り場からの距離ですが、少なくとも今までの航路の25%はなくなって、代わりに歩くことになりました。休日の香港での過ごし方は、今までKCRで尖東、そこから徒歩でスターフェリー乗り場に行き、中環の香港上海銀行前からトラムで銅鑼灣に向かうのがお気に入りのコースだったのですが、この乗り場ではとても香港上海銀行前まで行く気にはなれません。乗船時間も短いし。それなら九龍〜灣仔のフェリーに乗って、灣仔〜銅鑼灣を徒歩で散策する方がいいや。

 どんどん変わっていく香港。でもあの乗り場がなくなったのは正直寂しい。


 おまけ。この頃ちょうど香港電影節でした。

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2007.03.31

SkypeInとSkypeOutを着信転送で結ぶ

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 実は既に中国入りしています。写真の景色は寮のバルコニーからです。左の方に鉄道が見えます。广九線です。そして右のビルの隙間にちらっと山が見えていますが、この山は深圳ではなくて香港特別行政區の北端。以前の寮よりどえらく香港に近くなりました。

 さて以前のブログで紹介しましたSkype転送で安く中国に電話する方法。結果、日本からは日本国内の電話料金、中国では自己負担(SkypeOutの料金)で、中国の携帯電話にかけることに成功。音質もほんのちょっと直通電話より劣るものの、実用には差し支えないことが分かりました。

 今回出張する際におこなっておいたのは以下の通り。

【日本の電話】→SkypeInの番号(050-XXXX-XXXX)に転送設定
【日本の携帯】→SkypeInの番号(050-XXXX-XXXX)に転送設定
Skype】→「応答がない場合の通話転送先」を中国の携帯(+8613XXXXXXXXX)に転送設定

 一応準備万端とは言え実際に電話がかかるまで本当に使えるのか不安でしたが、昨日の朝、中国で持っている携帯が鳴りだしました。中国ではあり得ない電話番号だったので出てみたら、日本の電話にかけた方でした。音質は上述の通り。これは使える!

 この方法、お仕事なんかで連絡をもらうときには便利です。海外だからとお客さんに日本から国際電話をかけてもらうのも気が引けますが、この場合は基本的にSkypeInの番号だけを連絡しておけば、SkypeOutの転送先を変更するだけで、どこにいようともお客さんには国内電話料金だけでかけてもらえるわけで。最近は「海外でも使える!(ローミングだけど)」がウリの携帯電話も多々ありますが、これもやはりお客さんへの負担は大きくなります。

 因みに中国でSkypeOutの転送を携帯電話(China - Mobile)に設定した場合の自己負担料金ですが、ホームページを見たところ、1分0.017ユーロ、本日換算で2.67319円、3分でおよそ8円でした。

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2007.03.21

鴨志田くん

 どえらく忙しくてブログゆっくり書けませんでした。今月中に中国入りの予定ですが、まだ飛行機とってません。

 私が就職したのは1987年。当時はバブル全盛で、芸大卒の何も出来ませ〜ん状態の私でもデザイナーとして東証一部上場企業に就職できた、夢のような時代でした。で、いきなり新人歓迎会で課長に拝みこんで、入社2年目のゴールデンウイークに有給休暇を全部くっつけて3週間休みを下さいとお願いしました。当時の上司がまた、こう言うのを許してくれまして、1988年の5月にぼこっと3週間休んでエアインディアに搭乗。トランジットのバンコックで荷物のトラブルもあり、カルカッタには深夜に着陸しました。

 何でインドかと言いますと、当時のバックパッカーでよく言われていたのが「中国とインドを体験すれば、後は世界どこに行っても大丈夫」と言う話。当時の中国はまだ「サービス」の概念が無い、お客さんにとてもキビシイ土地だったのです。1986年の大学の夏休み、そして翌年の卒業旅行と中国に(安いので船で)行った私は、社会人になった自覚も育てないまま「次はインドじゃ〜!」と意気込んでいたのです。

 で、カルカッタ行きのチケットと、帰りのデリーから伊丹へのチケットを持って、気分はもうバックパッカー。

 しかし、深夜のカルカッタはさすがに恐かった。ひとりでは心細かったのですが、そこで話しかけてきたのが鴨志田くんでした。聞いてみるとタイからバングラディシュと渡り、さっきここに着いたばかり。旅の先輩とばかり、すがりついてしまいました。

 2人で空港からの脱出方法を捜していると、ふと日本人の団体が。創価学会の御一団の仏教史跡巡りツアーでありました。これ幸い。ちゃっかり2人ともチャーターバスに便乗。ありがとう創価学会さま!

 で、到着したのは安宿街のサダルストリート。何とかキャピタルゲストハウスの1室を確保して荷物を置く。と、さっき部屋まで案内してくれたボーイがドアをノック。開けるといきなり

「マリファナ?」

 私、昨日の夜まで残業してコンピュータの画面を睨みつつ図面を引きまくっていたんですが、その翌日がこのセリフです。そのあまりのギャップにおののいている間に、鴨志田くんは気軽に購入。しばらくするとぷかあ〜とフカし始め「どうです?」と。ひとりで吸うより、一緒にいる人と気分よくなった方が自分も気持ちいいのだとか。

 試してみましたが、まあ、お酒の席で緊張していると酔えないのと同様に、この時はほとんど効きませんでした。(以後、雲南省の大理、カトマンズなどありますが、これはまた別の機会に....)

 以後数日間カルカッタで一緒のお宿。昼間は別行動ですが、晩飯は料理とビールをガンガン頼みながら2人でウダ話。

 ふと彼が「岸上さん、敬語はいいですから」と。

 関東育ちの彼は自然とですます体で喋るのですが、私も「この人は旅の先輩」感覚があり、いつの間にか敬語調になっていたようで。彼は歳下だったので、私の敬語が居心地悪かったらしく。

 ホテルで彼の体験を、いろいろ聞きました。エセバックパッカーの私には、想像しがたい話がそこかしこ....。

 カーリーガートに一緒に行きました。頼みもしないのにガイドとしてつきまとうインド人がいて、彼が相手してましたが、最後の最後にお金を要求され、ボランティアじゃなかったと知った彼の怒ること。「オレはこう言うのが一番キライだ〜〜!!!」

 何日かして、私はルンビニに、彼は翌日にバラナシに行くことになりました。送別会と言う事で、出発直前までビールで宴会。呑みまくり。私の予約した列車の出発が1時間後に迫り、さすがにヤバくなりリクシャに乗り込む。彼も見送りで同行してくれました。サダルから駅までは結構あるのです。予定時刻に近づいてきました。「なあにインドの列車って1時間遅れることもざらですから大丈夫ですよ」と彼は言ってましたが、駅に着いたら丁度定刻通り列車が出発した直後。

 結局バラナシまで同行。2人で宿を取り、ガンジスで一緒に泳いだりして。その後、彼はバラナシに残り、私はカジュラホに旅行。

 以後、遭うことはなく。

 その後、サイバラさんとあの彼が結婚!?と言うのでビックラこきました。サイバラさんの本は出るたびに買って読んでいたのです。そしてテレビの特番で「手乗り鹿」の時に彼が出演。こうなるともう私は「(勝手に)有名芸能人とお友達」気分に浮かれてしまいました。多分彼は私なんか忘れていたと思いますが....。

 そして、いきなりの訃報にしばし呆然。昨日、その彼腎臓癌で永眠しました

 旅の縁。細く長く生きるのも、太く短く生きるのも、人生それぞれ。合掌。あの世で飲み過ぎるなよ。

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2007.01.21

華麗なる一族・上海ロケ地

 1月14日、キムタクドラマの初回、見てしまいましたよ。上海ロケに釣られて。

 路面電車の走っていた神戸元町界隈のロケを上海で行ったそうなんですが。時代設定は昭和42年頃だそう....にしては、街並み古すぎ。「万博間近」の頃って、もっと近代化してたよー。昭和42年って言うと東海道新幹線開業3年目だし、昭和45年の万博ではモノレールが走って自動改札も登場してたし。ちょっと風景としては無理があるような。

 ご存じの方も多いと思われますがこの上海ロケ、実際の上海の街頭で撮ったのではないのですね。私、その昔(1987年春頃)に上海に行ったことがありまして、その頃の蘇州河の北側、ブロードウエイマンションの西側あたりなんか、まだまだ疎開時代の建物とそう変わらない物件が多く残っていて、おまけにレトロな日本語の看板もあったり、風と共に去りぬの映画の看板があったり....と言うのは、ほんの1週間前にその場所で映画のロケがあったのでした。スピルバーグの迷作「太陽の帝国」です。

 まあそんな時代もあったのですが、今の上海はそう言う街並みも路地も絨毯爆撃にあったかのように更地にして区画整理からやり直し、新宿副都心みたいな風景が何キロも延々と続き、リニアモーターカーもかっ飛ぶ異空間未来都市に変貌してしまいましたので、とても昭和42年頃の雰囲気なんか出やしません。

 と言う訳で、ロケ地は中国各所にある映画村の一つ「上海影視楽園」で撮影したそうです。路面電車の線路のある風景ですが、当たり前ですが神戸元町界隈のために作られたところではなく、疎開時代の南京東路を再現した街並みなのだそうです。と言う事は昭和10年代くらい?でしょうか。どうりでレトロ過ぎるわけで。

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 建物がレトロ過ぎるのもさることながら、どうも「日本」に思えないこの風景。何が違うのか見てたんですが、分かりました。

 路面です。ドラマで出てきたロケ地の路面の断面はこんな感じでした。

070122_road_china

 日本では、だいたいこういう風になっているはずなのです。

070122_road_japan

 日本は雨が多いので、水はけを常に気にして路面電車の走る中央部が盛り上がり、道路の端に向かって緩やかな斜面になっているのが普通。これが無いために、圧倒的に違和感を感じました。これじゃあ雨降ったら道が川になる、中国によくある真っ平ら道路そのまんま。まー、テレビドラマでここまでいじるわけにはいかなかったでしょうけど。

 それにこの路面電車の走る南京東路の風景、見覚えがあると思ったら、チャウ・シンチーの「カンフーハッスル」のロケ地じゃないですか。う〜ん、イメージがどんどんキムタクから離れていく....(^^;)。


 因みに最近の南京東路はこんなです。歩行者天国になってしまいました。

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2006.09.18

YesAsiaに行ってみた

 ど〜も、一ヶ月以上もあいちゃいましたね。9月6日に帰国して以来、会社の方がバタバタしてなかなかブログまで行き着けませんでした。

 さてタイトルのYesAsia、実は先月行ってきました。いつも購入したときの送りもと、ホームページの会社情報によりますと以下のように表示されています。

060918_address

 九龍のライチコック....と言う事は「茘枝角」ですね。と言う事は地下鉄の茘枝角駅から歩いていける所ではないですか。ビザ無しの中国滞在、2週間に1度は香港に出なければならないので、無目的に香港を訪問するのももったいない。いつもアフィリエイトと情報収集でお世話になりまくっていますので、ご挨拶ぐらいはしておかないと。と言う訳で行ってみることにしました。

 地図を見たところ、茘枝角は九龍東鐵の九龍塘で地下鉄に乗り換え、太子でまた乗り換えて3駅目です。

060918_metro

 住んでいる華僑城からは、いつものように深圳地鐵の世界之窗駅から羅湖まで30分、そこで通関を越えて九龍東鐵に乗り換え九龍塘までまた30分。さらに地下鉄....。

 結構かかりましたが、ようやく茘枝角駅に着きました。折角ですから駅の表示をパチリ。

060918_stationname

 外に出てみました。何の変哲もない単なる地下鉄の入り口ですが....。

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 ちなみにこの入り口から外を見るとこんな具合。

060918_front

 さてこの茘枝角駅界隈、なんだか工業団地みたいな雰囲気です。日曜なのでかな〜り静かな雰囲気。シャッターも閉まっていて閑散としています。

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 住所にあったのは確か「Yee Kuk West Street」ですね。定番の地図帳「香港街道地方指南」を片手にてくてく歩いていきますと....ありました。

060918_yeekukwest

 「Yee Kuk West Street」、漢字では「醫局西街」でした。いよいよ近づいて来たようです。何だか秘密基地に潜入するような感じになって参りました。そして目指すは「Wui Wah Building」です。前方にあるビルがそうなのかな?それにしても閑散とした風景です。

060918_street

 近づいてみました。やはりこのビルが「Wui Wah Building」のようです。

060918_wuiwah

 でもどこにもYesAsiaの看板は出ていません。本当にここなんでしょうか?前には警備の人が2人座っているだけです。念のため住所を見せると確かにここだとのこと。本当にあるのかYesAsia?警備の人の了承を得て中に入らせてもらいました。テナントの表札を一覧。

060918_hyousatsu

 ありました!そとには看板も何もないですが、YesAsiaがここに入っているのは間違いないようです。左隣に郵便受けも発見!

060918_mailbox

 ううむ、ここが全世界に中華な電波を発し続けている秘密基地のアジトであったか。さすが秘密基地、外から見たところ、こんな所に潜んでいるとは気配すら感じられませんでした。

 タイトルちょっと中身と違いましたね。正しくは「YesAsiaの近くまで行ってみた」でした。日曜でYesAsiaはお休みだし、アポも取っていませんでしたので....すみませんm(_ _)m。

 このレポートを見て驚く人って、YesAsiaの会社の人ぐらいだろうなぁ(^。^;)。

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2006.08.04

730深圳オフ報告

 ここのところカトク君の送別会などが連日あり遅れてしまいましたが、去る7月30日のオフ会のご報告です。写真を中心にぱぱっと書いちゃいますが、雰囲気は分かるかと思います。

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 こちらが会場の聖沁殿日本料理の正面玄関です。ここを入って左手が会場です。

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 開始直前の会場風景。ガソリンも入っていないし人数も揃っていませんので、まだまだこれからと行ったところですが....。

 ここから人も集まり、総勢25名ほどになり、お子さんが走り回るはフルーチェの一気呑みをやらかすはと、会場は徐々に沸き上がり、阿鼻叫喚のごとくになって参りました。

 この日は幹事さんのお誕生日祝いと言う事もあり、お店から事前に「ケーキとワインをサービスいたします」との連絡が。これは楽しみです。で、やって来たのは....ワインは普通に赤ワインが来ましたからよいものの、ケーキがこれです。

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 「甘い」ケーキではなく、スポンジがわりに「寿司飯」を使ったケーキなのでした。寿司飯の中のピンク色はデンブです。真ん中にはハート形をあしらったキュウリ、黄色いのは卵焼きやスライスバナナ、赤いぼつぼつはイチゴではなくてプチトマト、トッピングはマヨネーズ....(-_-)。そしてケーキの左側に置かれているのは、ケーキカット用の柳刃庖丁。刃渡り30センチはありましょうか。

フツー、客の前に板前さんの包丁を出しますかぁ?

 まあ、お店からの折角のご厚意なのでお答えするべくケーキカットをしていただきましょう。それではお願いします。

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 参加していた7歳児と、2人初めての共同作業です。ハート形キュウリを柳刃庖丁でまっぷたつにぶった切っております。かなりシュールな光景です。

 せっかくの柳刃庖丁ですから、ネタをやらない手はありません。通りがかりにちょっと襲いかかってみたりして。
(※注意 よい子はゼッタイにマネをしないでください)

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 さてお誕生日祝いと共に、本日は飛び道具台湾人・カトクくんの送別会でもあります。みなさんとの想い出にと持参のTシャツに寄せ書きをしました。ご本人が日本語はあまりよく分からないのをいいことに、みなさん好き勝手に書きまくりました。

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 なかなかよい想い出になることでしょう。しかしこの寄せ書きは思いがけない方向に向かっていきました。もう書くスペースが足りなくなったのか、背中をめくられて書かれる羽目に。

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 その後これはだんだんエスカレートしていき、カトクくんが7歳児にパンツを脱がされて襲われそうになって逃げ回り、7歳児が執拗に追いかけるという事態になってしまいました。みんなガソリンがまわって壊れてます。

 5時前に賑やかな1次会は終わり、その後はおきまりの健全カラオケ酷比龍に。台湾語・北京語・広東語・日本語など好き勝手な歌を歌いまくり躍りまくり。最後は地王ビルにある土門というラーメン屋で締めくくりました。

 今回も盛り上がりました!楽しかったです。またやりましょう!

 そうそう、カトク君は本日の飛行機で無事台湾に帰国いたしました。来年の春節に台中で開催される(?)であろうオフ会でみなさんにお会いできるのを楽しみにしています、とのことです(^-^)。

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2006.07.14

復活!尖沙咀HMV

 消滅だ復活だと、私が勝手に勘違いして騒いでいただけの尖沙咀HMVですが、先の日曜日に確認に行って参りました。前回のコメントで山根さまが書かれていましたとおり、もとのHMVの東に通る漢口道、これを挟んで向かい側、ちょっと北に歩いた「亞太中心」と言うビルにどどんと移転しておりました。

060713_hmv1

 間口は以前より明らかに広いです。入りやすい。前のHMVは上にのびている感じでしたが、新しいHMVは横に広がっているのです。近くから見てみましょう。

060713_hmv2_1

 入り口がオープンで、以前よりフレンドリーな感じはします。

 でも何だかなぁ。私の知っている尖沙咀HMVではありません。

 間口は広いです。でも奥行きはそれ程ありません。間口の半分くらいでしょうか。で、2階までしかありません。そして1階がロック・ポップスのCD、2階がDVD・VCD関係とクラシックのCD。

 おおざっぱにカテゴリーされて、分かりやすいと言えばそうかも知れませんが....。

 C−POPは1階のロック・ポップス売り場の右奥に、他と区別無く唐突にありました。

 移転前のHMVでは、まず1階で最新ヒットチャートだけを置いてあって視聴コーナーが据えられていて、「ふっふっふ、もっと知りたくば上に昇ってくるのだ!」と言わんばかりにエスカレーターが待ち構え、その上がった先の右手にはC−POPだけが特別な一角をしめていて、それこそ「どうだ、ここがC−POP発信基地だ!」と言うオーラを発していたのですが。

 ここのC−POP売り場には、そのオーラが感じ取れません。なんだか普通のレコード屋さんになってしまった感じ....。2階に上がるのも、以前のようにエスカレーターではなくて、ただの階段です。

 ポッドキャストが爆発的に普及していることもあり、CDの売り上げはかなり苦戦しているらしいですし、HMVもこうなるのは仕方ないのでしょうけど。事実、移転前のビルもいつからか4階が封鎖されたり、その後フィットネスクラブが入っていたりと、台所事情の苦しそうなのは感じられましたが....。個人的には「攻め」の戦略で移転して欲しかったなぁ。現状を見る限り、通路を狭めて出来るだけ品物を凝縮してレイアウトし、効率アップを中心に据えた「守り」の移転です。ちと寂しい。

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 移転前はHMVだった建物、その後。なんか出来るみたいです。

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 中を覗いてみました。この「登竜門」のごときエスカレーターを上がって右にあった一角が、荘厳なオーラを発していたC−POP売り場でした。強者どもが夢の跡(T^T)。







オフ会開催のお知らせ

 先月やったのにまたか!?と言わないで下さい(^^;)。台湾人ですがなぜか日本人オフ会常連のカトクさんが、今月いっぱいをもって台湾帰任となりました。また、オフ会幹事のハジメさんがお誕生日が近いこともあり、中山先生の就職も決まったということもあり(って、え〜とすみません、どちらの中山さんになりますか(^^;)?間違っても孫中山先生....なワケはない)、いろいろ合わせてオフ会の運びとなりました。幹事はいつもながら私ではなくハジメさんです。


日時:7月23日あるいは30日
   (日曜というだけでまだ未確定です)
   いつものように正午より夕方まで
会場:「聖沁殿日本料理」
   福田区深南中路華聯大厦二楼
   地下鉄「科学館」駅B出口スグ

 日にちは確定次第また告知します。送別会とか誕生パーティーとか就職祝いと言うのは口実ですので、皆さんお友達のお友達のお友達も引きずり込んで、初対面の方どうしで盛り上がってしまうのもすごくアリです。飛び入りももちろん大歓迎。華南〜香港方面にお住まいの方々、お気軽にどうぞ。千客万来でお待ちしておりますよん(^-^)/。

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2006.07.10

香港明星に遭遇

 昨日、尖沙咀HMVの移転先を確認しに行ったのですが、そのあとスターフェリー乗り場近くで人だかりに行き当たりました。

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 「アレックス〜〜!!」「ステフィン〜〜!!」の黄色い叫び声に、マイクやビデオカメラ。運良く明星さんの録画の現場に居合わせたのです。

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 「アレックス」は方力申(アレックス・フォン)、「ステフィン」は鄧麗欣(ステフィン・タン)でした。ステフィン・タンは亜州明星総覧には未登録です。すみません。雰囲気からするとお芝居じゃなくて、なんかのキャンペーンで一日警察官かなにかやっているような感じでした。

 と言う訳で、後は解説抜きで画像をご紹介。

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 尖沙咀HMVのレポートは、またあらためて....。

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