ホワイトラビットの置き土産
それはまだ中国旅行に外貨兌換券が必要だった時代。旅行には職場単位やら社区やらからの身分証か、なければパスポートが必須で、パスポート提示には漏れなく220パーセントの外国人料金がついてまわった。
コカ・コーラ(中国製)は外人専用の友誼商店でしか売られてなくて(安くないー)、やっと手に入れて缶のプルリングを引っ張ったらリングだけペキッとちぎれた(中国製)。見た目が似かよっているだけにちょっと変わった事をすると何事かとわらわら人民が寄って来る。日本人とわかるとようやく納得する。
たいがい疲れる生活の中で糖分補給に必要だったのが大白兎奶糖。ちょい前の1987年1月「ホワイトラビットからのメッセージ」がリリース。卒業旅行の自分たちに天使がプレゼントをくれたのです。
まだ上海の浦東はのどかな農村地帯で、新空港もバカでかいタワーもマグレブもな〜んにもありませんでした。
あれから何度中国に行ったでしょうか。卒業し、日本のメーカーで9年9ヶ月、その後台南の家電に転職し香港・厦門・上海に出張。デザイン事務所で5年間、ひとり作業のノウハウを学んだ後、台湾人と組んで中国人を雇い深圳に設計事務所を設立。深圳に常駐しながら毎週日曜に香港に散歩に出る、今にして思えばずいぶん贅沢な経験を(他人の出資金で)したものです。その間に工事現場はみるみる地下鉄網に変貌し、こじんまりした路地はブロック一帯ごっそり取り壊されショッピングセンターに、港に係留していた船上レストランもあっと言う間にマンションの谷間に沈んで消え去りました。華南は移り変わりが激しいのです。
変わったのは日本も同じで、それから河合その子は後藤次利夫人に、高井麻巳子は秋元康夫人に、荻野目洋子はテニスプレーヤー(名前はどうでもいい)と結婚して3児の母になりました。
....何のお話でしたっけ?
あ、上海。上海もずいぶん変わりました。縦に横に地下鉄がぶいぶい伸びまくり、栓抜きみたいなビルが建ち、50メーターぐらいのはるか上空に3重立体交差の高速道路が張り巡らされ、新宿副都心のような高層ビル群が延々1時間ぐらい途絶える事もないという、どっから来たのあなた〜ってぐらいのSF未来都市です。
もう大白兎奶糖はありません。むかしはあれほど定番だったのに。上川隆也さんだってお土産に持って来ていたほどだったのに。
私も上海はご無沙汰です。もう行かなくても立派な都会に成長している事でしょう。そこにSNHの劇場はあっても私の居場所はありません。世代が違うのです。
2016年4月19日、mixiでホワイトラビットの元会長が登山中に事故死と言うニュースが入りました。お名前はShanghai Guan Sheng Yuan (Group) Co., Ltd.のWeng Mao氏だそうです。商品はよく知っていてもどなたが作ってるかまでは知まったく考えた事もありませんでした。
何とも気になるのでググって行きようやく判明。上海冠生园食品の翁懋氏でした。漢字で書いているメディアも探せばみつかるものです。聞けば登山中に猿による落石で亡くなられたのだとか。聞けば67歳。病気もなくまだまだお元気だったのに。どんな国にいたってこう言う事はあるものですね。そして一度あったらもう空間も時間も全てと絶縁なのですね。
いえいえ現実には絶縁されても人間には記憶があるのです。30年前、ホワイトラビットの天使に癒された自分がいたこと。それで救われた人生があった事。私は決して忘れません。本当にありがとう。合掌です。
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