2016.05.17

圧縮干粮

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 九里徳泰さんに憧れた。とても真似はできませんでしたが。

 こぼれでたものか横流し品か(ここらあたり規律がヘンにユルい)、当時は人民解放軍からコンバットレーションとして761圧縮干粮が出回っていました。この頃「地球の歩き方」などを片手に神戸や大阪から(沖縄行きの中古の)フェリーに乗って上海に上陸し、硬座で移動するのが旅行の醍醐味だぜ!などとワケの分からないポリシーに燃えていた私、買い込んだ人民の方便麺が涙が出る程にまずかった。泣く泣く手にした761、あまりの味の差に驚きました。「おいしい」と言うより、まず「味がある」。とにかく濃いのです。過酷な状況に現れいでた女神様。

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 持った感触はカチンカチンです。フカフカ感はぜんぜんありません。それにズシリと重い。頭で打ったらケガするんじゃないかと言うぐらいです。固いですが割ってみました。....確かにカロリーメイトっぽいうまさですが、それをラードで固めて冷やしたような味でしょうか。ロケットニュースでは上等なショートブレッドみたいな味とか今すぐアフタヌーンティーしたくなるレベルと紹介されていましたが、残念ながら私が食べた時には冷静に味を比較できる環境下ではなかったのでコメントは控えます。もちろんまずくはないです。余談ですがここではコンバットレーションと言わずミリタリーフード、略してミリメシとなってます。俗称でしょうね。時代だなぁ。

 今はカップ麺もわりと食べられるようになりました。圧縮干粮も761から90に変わっているそうです。昔現地ではえらく安かった気がしましたが、先日ちょっとネットショップで覗いてみたら1パック2,000円あまり。ご時世なのか、輸入の途中で誰かがボッてるのか。コストパフォーマンスを考えてあきらめました。残念。

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2016.05.15

ホワイトラビットの置き土産

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 それはまだ中国旅行に外貨兌換券が必要だった時代。旅行には職場単位やら社区やらからの身分証か、なければパスポートが必須で、パスポート提示には漏れなく220パーセントの外国人料金がついてまわった。

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 コカ・コーラ(中国製)は外人専用の友誼商店でしか売られてなくて(安くないー)、やっと手に入れて缶のプルリングを引っ張ったらリングだけペキッとちぎれた(中国製)。見た目が似かよっているだけにちょっと変わった事をすると何事かとわらわら人民が寄って来る。日本人とわかるとようやく納得する。

 たいがい疲れる生活の中で糖分補給に必要だったのが大白兎奶糖。ちょい前の1987年1月「ホワイトラビットからのメッセージ」がリリース。卒業旅行の自分たちに天使がプレゼントをくれたのです。

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 まだ上海の浦東はのどかな農村地帯で、新空港もバカでかいタワーもマグレブもな〜んにもありませんでした。

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 あれから何度中国に行ったでしょうか。卒業し、日本のメーカーで9年9ヶ月、その後台南の家電に転職し香港・厦門・上海に出張。デザイン事務所で5年間、ひとり作業のノウハウを学んだ後、台湾人と組んで中国人を雇い深圳に設計事務所を設立。深圳に常駐しながら毎週日曜に香港に散歩に出る、今にして思えばずいぶん贅沢な経験を(他人の出資金で)したものです。その間に工事現場はみるみる地下鉄網に変貌し、こじんまりした路地はブロック一帯ごっそり取り壊されショッピングセンターに、港に係留していた船上レストランもあっと言う間にマンションの谷間に沈んで消え去りました。華南は移り変わりが激しいのです。

 変わったのは日本も同じで、それから河合その子は後藤次利夫人に、高井麻巳子は秋元康夫人に、荻野目洋子はテニスプレーヤー(名前はどうでもいい)と結婚して3児の母になりました。

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  ....何のお話でしたっけ?

 あ、上海。上海もずいぶん変わりました。縦に横に地下鉄がぶいぶい伸びまくり、栓抜きみたいなビルが建ち、50メーターぐらいのはるか上空に3重立体交差の高速道路が張り巡らされ、新宿副都心のような高層ビル群が延々1時間ぐらい途絶える事もないという、どっから来たのあなた〜ってぐらいのSF未来都市です。

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 もう大白兎奶糖はありません。むかしはあれほど定番だったのに。上川隆也さんだってお土産に持って来ていたほどだったのに。

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 私も上海はご無沙汰です。もう行かなくても立派な都会に成長している事でしょう。そこにSNHの劇場はあっても私の居場所はありません。世代が違うのです。

 2016年4月19日、mixiでホワイトラビットの元会長が登山中に事故死と言うニュースが入りました。お名前はShanghai Guan Sheng Yuan (Group) Co., Ltd.のWeng Mao氏だそうです。商品はよく知っていてもどなたが作ってるかまでは知まったく考えた事もありませんでした。

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 何とも気になるのでググって行きようやく判明。上海冠生园食品翁懋氏でした。漢字で書いているメディアも探せばみつかるものです。聞けば登山中に猿による落石で亡くなられたのだとか。聞けば67歳。病気もなくまだまだお元気だったのに。どんな国にいたってこう言う事はあるものですね。そして一度あったらもう空間も時間も全てと絶縁なのですね。

 いえいえ現実には絶縁されても人間には記憶があるのです。30年前、ホワイトラビットの天使に癒された自分がいたこと。それで救われた人生があった事。私は決して忘れません。本当にありがとう。合掌です。

Marina

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2016.02.13

SHARP、鴻海、深田萌絵

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 もうガジェットの時代ではないのかも知れない。

 私が入れこんだフイルムカメラはデジタルに変わり、デジタルカメラはスマートフォンに集約され、出来上がったデータはSNSに取り込めれば満足するのでプリントしなくてもよくなった。一所懸命に追求したけれど、過ぎ去ってみると何だったんだろうと言う世界だった。残っているのは旅した記憶と経験だけ。カメラなんかどうでもよいものだ。いまでも惰性でα300に28-80と75-300のズームは持っているけれど、新しいものはいらない。PCもMacBook Airを惰性で持っているけど最新型はしんどい。

 東芝さんは原発の問題もあり粉飾決算がバレたのか不正会計処理に苦しんでいる様です。これは解決すればなんとかなりそうですが。SONYさんはやはりカメラや携帯電話が落ち込み、ゲームや映画や金融で支えている感じ。いいのかそれで?他も各社さんどちらも楽ではないご様子。私の方もカメラが傾いた〜と思って台湾から中国にわたり、現地駐在で様々な経験をつんで帰国してみたら古巣の技術センターはきれいさっぱり撤去され、芝生だけが生えておりました。自分がこれだけ変われば世の中だって変わってもおかしくありません。
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 で、プラズマクラスターのSHARPさん。ここは液晶テレビにバーンと打って出たのが悪い方向に走ってしまい、会社が傾いてどうしようもなくなって....。そこで出たのが「台湾」企業の鴻海さん。いえこの会社、名義は台湾なのですが実体は何なのか。ここまでこじれるいわれは何なのか。ジョエイ・キャンベル氏やマイク・ホンダ氏やテリー・ゴウ氏や趙春花氏や台湾青幫が登場するのは何故なのか。

 話は終わっていません。それに深入りすると思わぬ所から狙われる恐れもあります。とりあえず株アイドル深田萌絵氏のこの先を注意深く観察して行きましょう。
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2016.02.10

六四南台大震!

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 先週の土曜早朝、台南付近でどえらくグラグラ来ました。日本同様に台湾も地震帯です。ほとんどは大きく揺れて棚の上がどっちらけになったりしたもののなんとかやり過ごせましたが、若干やり過ごせなかった建物がありました。なんともおいたわしい。直下型なので初期微動からいきなりドスンと凄まじくぶっ飛んだ時、その衝撃に耐えられずあえなくポキリとへたって車道側に倒れ込んでしまいました。年末の午前4時ちょっと前、500名もの方々が眠っているさなかでした。

 倒壊からすでに85時間以上たちました。現地では連日連夜生特番で倒壊したビルからの救出作戦を報道しています。もともとそれほど大きな場所ではない上に瓦礫が積み重なり、救助は困難を極めています。下手に機材を持ち込もうとすると機材自体の自重で圧死しかねません。ここは中国ではないのです。こちらで住所をググってみました。台南市永康區永大路二段....ここって私がいた時代は台南懸永康市だった筈。

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 左の檳榔屋さんは壊れてないそうです。街角的薔薇。右が倒れてしまったビル。グーグルなので地震の前の画像が出て来ます。記憶のある看板がある人もいますが、私の在籍期間はわずか9ヶ月でしたのでもう覚えている人はほとんどいないでしょう。台湾南部に拠点を持つ家電量販店です。本社は一応台北ですが南部が重点。どちらかと言うとメーカーより販売の会社。

 テレビのスイッチをつけるともう、壊れた画像なので見ているのがつらいです。昼と言わず夜と言わず「いま○棟○階から○歳の子供の遺体が」と、その方ひとりひとりの背景や遺族の嘆きの場面が延々と流されています。合掌。

 倒壊現場を見ると鉄骨が細い細い。これではあめ玉のようにくにゃっとへしゃげるのもうなずけます。そして目立ったのが一斗缶。手抜き工事の象徴と言われ、一部では強度不足の原因ともされているようですが、一斗缶自体は強度不足の直接原因ではありません。しかし手抜きには違いない。乾く前のコンクリートに適当なものを詰め込んで事後確認もせず、と言うズサンさがモロに現れています。自分の建物に対しての愛情がない。ビルが可哀想です。

 くだんの物件は完成前に業者が倒産....とみせかけて、改名して別人になりすましてアヤしい建築を繰り返していました。ヤバくなったら一度香港経由で華南幫を頼れば人間を洗えるのが台湾。あんまり関係ないですが数年前に龍崗あたりで「台湾でコロシやらかして逃げて来ちゃったー」と言う小売り屋の兄ちゃんにも会いました。建築の一団はさすがに今回とうとう司直の手がまわったそうです。
 
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 さて台南と聞いて思い出されるのが自分が住んでいた文化大廈。在籍9ヶ月だけと言っても初の転職先、そして最初の海外駐在先、しかも街なかに日本人ひとりっきりと言う状態。週末ともなれば台湾人は田舎に帰り、ひろい部屋に私だけ。友人から借りた自転車であちこちお出かけしました。こちらもググってみましょう。

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....文化大廈が消えています....

 悲しいかな、この付近一帯は数年前に再開発がおこなわれてビルが撤去され、公園になっていました。何でしょうかね。ミノルタがカメラ事業を手放した事より、技術センターが芝生になった事の方が寂しい。台南の文化大廈の事なんか、もう誰も覚えてはいない。残るのはただ私の記憶の中だけです。忘れていなければね。南無。

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2016.01.17

Suraj と Batu Gaiden

 インドにはクリケットはありますが野球はありません。いえインドが珍しいのではなくて世界的に見渡すとサッカーやラグビーはワールドカップも開催されるぐらいメジャーですが、野球は米国とその影響圏である中米カリブ諸国周辺、米国とガチンコ勝負した日本とその影響圏であった台湾と韓国ぐらいにど・マイナーです。中国行ったら小姐もほとんど知りません。

 クリケットはインドではむちゃくちゃ有名です。駅前で試合をやっていたら置き引きそっちのけで皆さん熱中しています。本国イングランドではおそらくゴルフに近い紳士のスポーツとして知られています。多分野球よりメジャーと言っても間違いはないでしょう。

 で、12〜3年前にクールジャパン戦略の一環で「巨人の星」のインド版「Suraj the rising star」が輸出されると言う事で一時期話題になりました。思ったとおり野球では受けが悪いからクリケットで。事前にかなり調整をおこない、立ち上げも「大成功(?)」と、日本での前宣伝では期待に盛り上がりました。時を同じくして「Batu Gaiden」もスタート。いよいよ日本のアニメがインドに浸透する時がやって来るのでしょうか?

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....放映から4年経ちました。視聴率は2.0%....
あれ?
日本とインドでは比較はできません。なにしろテレビチャンネルだけでも700はあるのです。深夜放映のガンダム並と悲観するのは早過ぎます。放映後吸水スポンジのように消えてしまった日本のアニメ情報ですが、つい最近日経でレポートが出ていました。クリケットはやっぱり大人気の様です。街の子供に聞いてみました。

「スーラジって知ってる?」
「知らない」

統計の取り方が悪いのかも知れません。スーラジのブームはこれから!

....と虚勢を張ろうがピントの外れたものは当たり様がない。自分で「なあオレってクールだろ?」と言いたがる人間が実際にクールなワケがないのです。周りを見てどうしようどうしようとオロオロしている人間が一番格好わるい。日本では同調圧力と言うのが言われるけど、ここインドではその同調圧力がまるでないのだ。同調圧力どころか嘘と本当の違いも分からない。本当の嘘はどこにあるのだ。その嘘ホント。生真面目な日本人、これから気長にスーラジビジネスを続けて行くそうです。

ひとつ無責任なヒント。アッサム方面に行かれるとコスプレが流行しているとのこと。ここはデリーとは文化圏がまるで違います。ナガランド、こちらに救いがあるやも知れぬ。是非行ってみなされ。めぐり合わせに寄ってはミゾラムやロヒンギャに出会えるかも知れませんが。


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2016.01.13

熱情、南台湾。

 台湾には「國語」、あるいは北京語と言われる歌謡界のほかに台湾語の歌謡界があります。1987年の戒厳令解除から一気におおやけに出ました。出たのはいいのですが今まできっちり規定してこなかったので漢字表記が泥縄式でよくわかりません。ベタです。それとは関係ないかも知れませんが歌謡番組もベタです。

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....何だか女性が多い感じがするのは気のせいです!
70年代からアンダーグラウンドで延々と歌われて来た台湾語歌謡界、日の目を見たのはいいのですが、哈日世代にとってはもはや演歌はダサいと思われているんでしょうか。そして21世紀になると音楽はダウンロード配信によるボーダーレスの波が押し寄せ、台湾語はローカルの波間に消え去ろうかと言う方向です。私もPCが1台あれば充分で、CDぜんぜん買わなくなりました。時代は動くのです。そんな2016年。なんか悲しい。


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2016.01.12

どこ行ったイーキンのウルトラマン

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....どこにも行ってません。消えてしまったようです。パテントってこわいなあ。

 何とか画像の貼り付けができました。大丈夫とは思いますが自信があまりない。

 チャイヨーが中国人やタイ人の俳優を起用して制作していたPROJECT ULTRAMAN、やはりと言うか、裁判沙汰になり、ごたごたの末に日本の円谷プロが権利を再獲得。チャイヨー側はニセ契約書もバレたりして結局日の目を見ないままお流れになってしまいました。鄭伊健氏はアオリをくらって出演もならず。梁詠琪と分手して心機一転と思ってた出ばなを思いっきりはたかれました。彼女の方は5年前にスペイン人のセルジオと結婚して今や可愛い女の子を持つ一児の母親だそうですお幸せに美人は得だなあ。

 さてチャイヨー、いまやアユタヤのウルトラマンランドも草ぼーぼーでつわものどもが夢の跡になっております。すぎたるはなほおよばざるがごとし。せめてPROJECT ULTRAMANの動画でも鑑賞しましょう。なんまんだぶ。


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2016.01.11

8年あきました。

 ....諸般諸々の事情で8年もご無沙汰しておりました。みなさん生きていらっしゃいますか?

 この8年間で随分事情が変わりました。2008年に陳冠希の一大スキャンダルが吹き荒れ、データダウンロード化でただでさえ弱っていた香港芸能界にとどめのカウンターパンチをくらわしました。他はともかく個人的には鍾欣桐の写真の件がむちゃくちゃショックで....。いままで清純派アイドルとして通っていて水着写真ですらも「彼女達のイメージが崩れるからやめろ〜」と騒いでいた、あのクレームは何だったんだろう。1995年の阪神淡路大震災の直後から通信の世界を知り、翌年には亜州明星総覧を開設し、1998年には転職し、2003年には中国駐在することになり、駐在員の理想と現実と希望と悲哀にどっぷり浸り込み。

 そのあげくの陳冠希です。

 いえそれもむかしの話。もういいのです、もう。

 帰国した私はもっと南に方向転換。立ち上げからジャカルタを見ているうちに眼が離せなくなり、ここのところすっかり興味が南半球に移動しています。ついでに1年半前にぶっ倒れたもので回復作業の必要もあり書き込んでいる次第。

 今後も時間があいたら不定期にアップして行く予定です。まずはご挨拶まで。この8年間、鬼籍に入られた方は多うございますが、私はしぶとく生き残っています。ではまた。

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2008.12.31

いつのまにやら大晦日

ども。ご無沙汰しております。ここに書くのは9ヶ月ぶりとなりました。実は亜州明星総覧も半年更新していません。

亜州明星総覧を始めたのが1996年、もう12年以上もやっています。当初は単なるリンク集だったのが1997年には台湾で暮らす事が多くなり、暇な時間に拡充して行くうちにいつの間にかこんなサイトになっちゃいました。自分でも持て余すぐらいです。

始めた頃はファンサイトも数はそれほど多くなく、開設した方々も手探り状態でしたが、訪問客どうしで情報交換しあい、自分の好きな明星さんがどんなにすてきなのかを知らしめよう!と言う情熱にあふれておりました。当サイトもその中継基地として一助になったのではないかと思います。

昨今、ネットの情報量は飛躍的に増えました。しかし、それに反比例するかの様に交流型が目立たなくなってきました。確かに情報は交換しなくとも海外サイトの翻訳やWikipediaなんかで簡単に見つけられるのです。そして当初のファンサイト運営者も年齢を重ねていつの間にか運営から遠ざかり、世代交代したなあと言う感じです。私も12年分、歳をとりました。

実のところ、本業が立て込みすぎたのがひとつ。そして何よりアフィリエイトのシステムが変わって時間的に対応できなくなってしまった故に更新まで手が回らなくなってしまったのがひとつ。

....などと書いてしまうと、まるで亜州明星総覧を閉じるかのようになってしまいますが、いえいえ。

来年は時間を取って、しっかり更新して行きます。幸い、昨今の不況の影響で時間も取れそうだし(をいをい)

と言う訳で、来年もよろしくお願い致します。

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2008.03.01

最強の電子辞書(=゚ω゚)ノ

 うわ〜、仕事にかまけてサボってたら年明けて3月になっちまいました。まだ忙しくて長文書けません。もちろん陳冠希の話なんぞ書いてる時間なんぞもありません。

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 さて2年程前にここのブログで紹介しましたが、中国語学習者には評判のキヤノンのワードタンクシリーズに最強機種が出た模様です。普通話(北京語)はもちろん、上海話、広東話、台湾語にまで対応しているとの事!これはかなりすごい(σ=`ω´)σ。

 え〜、詳しくはキヤノンのニュースリリースをご覧ください。今回はこれにて失礼。仕事に戻ります(=`-´)b。

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2007.12.25

深圳・夜の蝶

 先の日曜日、帰国しました。覚悟していた程には大阪は寒くなくて快適です。もう蚊に悩まされる事もないと思うと嬉しい。

 4月ににちらりとこちらで紹介しました深圳のメイド焼肉屋さん、既にメイド服は着用していないと言うお話。実は帰国前にひさびさにお邪魔したのですが、やはり3月に経営形態が変わり、普通の日本人向けの焼肉屋さんになっておりました。

 さてこの焼肉屋、味はまあまあですが、お客は日本人ばかりで雰囲気も日本にいるような静けさ。中国のレストランは概して大声での会話や食器のがちゃがちゃ音が景気よすぎて、日本人どうしが交わすぼそぼそした比較的小声の会話がしにくいのですが、ここは落ち着いた雰囲気。帰国前と言う事もあり、うちの老板(台湾人)とじっくり会話しながら食事しようと言う事でやってまいりました。

 駐在者にはつとに有名ですが、ここ深圳東門界隈では「小田原グループ」と言う、日本人向けにカラオケ、スナック、ラーメン店などを手広くやっている企業があるのですが、メイド焼肉屋も以前はここの傘下なのでした。いまはフランチャイズから外れたそうです。そう言えば小田原グループの店鋪も、以前よりずいぶん減ったような....。

 メイド服がなくなった、フランチャイズから外れた、まあそれは承知していたのですが、まさかウエイトレスが全員替わっていたとは思いませんでした。以前は、こういう小姐がいたのですが。

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 みんな真面目で愛想もよく、片言の日本語で一所懸命やっていたのですが、いったいどこに行ったのでしょう。


 お店の人に聞いてみました。


 なんとまあ、全員が全員、日本人向けカラオケに引き抜かれてしまったとの事。








 ここでは詳しくは書きませんが、昨今のこの界隈での日本人向けカラオケの様子は、小田原グループのオーナーのブログを参照して下さるとご理解いただけるかと。

 彼女たちの幸せを祈ります。

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2007.12.11

中国のしょこたん!?

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 先月末から中国の深圳に出張しておりますです。これ、ぱっと見て、日本語学校のパンフレットにしょこたんの写真が無断使用されているのかと思ってしまいました。よくよく見るとしょこたんとは違うのは分かるんですが、なんか、こう、表情とか雰囲気が似ている気がします。こちらは正真正銘の"しょこたん"こと中川翔子さんの画像です。

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 彼女の名前は伶俐(リンリー)。11歳で来日。上智大学を出ています。2005年から上海東方電視台で始まった、「東京印象」と言う、今どきの日本を紹介する番組のリポーターです。2007年からは東京に限らず日本全国を駆け回り、うどん打ちに奮闘したり、温泉でのぼせたり、スキー場で風邪をこじらせたりと、日々日本カルチャーを精力的に伝播しようと頑張っているそうです。そんな彼女ご本人のブログはこちら。

伶俐的東京印象

 ここが番組の公式サイトなんでしょうか。日本系の会社だと思いますが....。

上海ロキシー文化伝播有限公司

 さて、もともとの日本語学校ですが、ホームページはこちらです。ちなみにうちの従業員に聞いてみたところ、「内容はしっかりしてそうだけど、値段が高い」そうです。

櫻花国際日語

 伶俐(リンリー)、そのうち亜州明星総覧に載せるかも....。

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2007.11.07

ノラ・ミャオは今....?

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     可憐だなぁ。




 「ドラゴン怒りの鉄拳(原題:精武門)」の時のノラ・ミャオです。ブルース・リーに憧れた当時の男子どもは、また皆が皆ノラ・ミャオにも憧れたものです。

 「ドラゴン怒りの鉄拳」では、悪辣非道な小日本鬼子に立ち向かう中華英雄:ブルース・リーと言うストーリーで、思いっきり日本人が悪役で出てきます。その敵方の日本人を演じたのが橋本力さんで、この人、大映映画の「大魔神」を演じられたお方。このお方が映画ではブルース・リーに蹴られて吹っ飛んでいくのですが、そこでワイヤーワークで吹っ飛んで行くところを勤めたスタントマンがジャッキー・チェンだったそうです。「ドラゴン怒りの鉄拳」には続編の「レッド・ドラゴン(原題:新精武門)」と言うものがあり、この映画の主演はジャッキー・チェンノラ・ミャオは前作と同じ役で出演しています。






 私が初めて観た香港映画は「ドラゴンへの道(原題:猛龍過江)」でした。1975年の夏休み。小学生の私は、同い歳の従兄弟と2人で京都の映画館へ向かいました。

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 これはその時に買ったパンフレット。さすがにボロボロになっておりまして、右端の綴じ部分が禿げてたりしています。

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 表紙をめくったらこんなの。パンフレット自体はモノクロ主体で、今のものと比べるとかなり地味です。

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 レコードも持っています....と言うのは嘘で、これはパンフレットの裏表紙の画像の一部。「ブルース・リーの絶叫入り」のこのレコード、従兄弟は多分今でも持ってると思う。

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 これは「ドラゴンへの道」でのノラ・ミャオ。「ドラゴン怒りの鉄拳」の頃とそれ程時間は経っていないと言うのに、可憐で清楚な出で立ちからガラっと変わっちゃいましたが。いえいえそれでもこれはこれでまた可愛らしい。

 ここでのノラ・ミャオは、ローマで中華料理店を経営する女主人。マフィアに嫌がらせを受け、故郷に助けを求めたところ、遠縁の頼りになりそうな男としてブルース・リー扮する唐龍(タン・ロン)がローマに来るわけです。で、いつものように嫌がらせをしてきたマフィアの手下をタン・ロンは卓越した技でボコボコにしてしまい、その後は泥試合あり〜の、最後にはコロッセオでの戦いで最強の相手を打ちのめすのですが、戻った中華料理店では、既に本気で怒らせてしまったマフィアによって従業員がほとんど殺されていた....と言う、お前がローマに来たのは火に油を注いだだけやんけ〜!....っと、アメリカ軍の対アフガンや対イラク作戦みたいなストーリーでありました。小学生の私には何だか分からんがインパクト強かったな〜。

 さてその後、ノラ・ミャオはいくつかの映画に出演していましたが、1980年を過ぎた頃に結婚。カナダ・トロントに拠点を移し、銀幕からは遠ざかってしまいました。ただ、芸能界から引退したわけでは無く、1990年代にはトロントのテレビ番組の司会などをしていたそうです。

 そして現在、カナダの華人向けラジオ局で司会を務めています。以下の画像は、そのラジオ局の公式プロフィールページにあるものです。

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 う〜ん、歳とってる筈なのに若々しい。




 しかし彼女、1952年生まれですよ。とすれば現在は既に55歳。このお写真でさすがに55歳と言うのは....?




 と、思ったら、こんな画像が。




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 ....確かにお綺麗ではありますし、面影もしっかり残っております。が、公式プロフィールページにあのお写真と言うのは、さすがにちょっと公共広告機構では....。










 「ドラゴンへの道」もまた、敵役として日本人が出てくるのですが、この映画でマフィアが遣わした日本人役を演じたのはウォン・インシク。日本統治時代の朝鮮出身のアクションスターです。

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 映画ではブルース・リーと対峙し、「おむぁえぐぁ、タン・ロンくわぁ〜!?」と、かな〜り怪しげな日本語を発し、ブルース・リーに決め技を喰らわされると「あ〜いたっ!!」「お〜いたっ!!」とか言っておりました。

 この方もその後、ジャッキー・チェンの「ヤング・マスター〜師弟出馬〜」などに出ておりましたが、やがて引退。

 そして現在は....この方もカナダ・トロントに拠点を移されております。あらま。

 ウォン・インシク氏、トロントでは合氣道(ハプキド)の道場を運営しているそうです。韓国のハプキドと日本の合気道、関連性があるのかとか、どっちかがルーツなのかとかは、勉強不足で分かりません。

 その道場のホームページにご本人の画像がありました。




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    老いた鷲や。
       



 考えてみれば、32歳と言う若さで亡くなったブルース・リー。もしご存命ならば今年で67歳。諸行無常。

 でも32歳没にして世界に伝説を作りあげたひとりの人間。どえらい。今更ながら合掌。

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2007.10.29

台湾土産を頂いた

 とり王オフに参加された皆さん、有り難うございました。4年のブランクを全く感じない気軽さで11時まで盛り上がりました。また企画したいと思いますので、今回ご都合のつかなかった方もよろしくご参加ください(^-^)/。

 さてオフ会では、わみ姐より台湾土産を頂きました。

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 台北・國立故宮博物院の宝物の中でも五指に数えられる「翠玉白菜」です。翡翠で作った白菜で、右上にはキリギリスもセットになっております。まあ宝物事体のウンチクは置いといて、お土産として頂いたのは「翠玉白菜の写真を印刷したマウスパッド」でありました。

 実は7〜8年ばかり昔にもわみ姐が台湾に旅行する時に買ってきて欲しいとお願いした事があります。以後、職場でかなり愛用していたのですが、やがて悲しいかな、左下の部分から表面がはく離してしまい、使える状態ではなくなってしまいました。

 今回はご所望したのではないのですが、わざわざお気づかいくださり、頂いた次第。聞いてみたところ、わみ姐も同じ物を愛用していたのですが、同様に左下がはく離してしまったのだそうです。自分も欲しかったので、一緒に買ってきて下さったのでした。うれしいなあ。

 オフ会から帰って、翌日改めて袋から出して眺めていましたら、袋の中にもう一つのお土産が。

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 台湾名物・檳榔西施の絵葉書でした。うむむ、趣味を的確に読まれておる。どうもありがとうございました。

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2007.10.27

「とり王オフ」10月27日開催!


日時:10月27日 午後5時〜10時ぐらい
会場:大阪府高槻市の「とり王」
費用:お一人3,000円ぐらいでしょう



拡大地図を表示

 何と、4年ぶりの開催です。前回は2003年の12月。この前年末から私は中国深圳と大阪を行ったり来たり、どちらかと言えば中国滞在が中心の生活スタイルに変わってしまい、もっぱら深圳オフに参加すると言う状態になっておりました。ですが昨年9月以来今に至るまで、中国滞在はわずか1ヶ月。もう帰国以来半年が経過しております。

 で、かつての「とり王オフ」(お店の名前が変わる前は「ぢどりオフ」)を知る方からリクエストもございまして。「とり王」にお電話したところ、予約を快諾して下さり、ここに開催の運びとなりました。


とり王オフ掲示板

 上の掲示板を覗くと雰囲気が伝わるかと思いますが、中華圏の映画やテレビドラマ、ポップスなど、普段あまり周囲の方と話題になかなかならないような事をぢどり料理とお酒をネタにわいわいと気楽にお話しましょう、と言う企画です。もちろんお時間のある方はどなたでも参加できます。

 前回からブランクが空いておりますので果たしてどれだけ来ていただけるか分かりませんが、初めての方、懐かしい方、ぜひお越しください。開催時間中であればいつ来ていただいても結構です。場所は大阪府高槻市。阪急電鉄京都線の高槻市駅南に出て東に5分ばかり歩いたところです。分かりにくければ高槻市駅付近からご連絡してくださればお迎えに行きます。メールアドレスをご連絡くだされば私の携帯電話番号を連絡いたします。参加表明は、こちらへのコメント記入、掲示板への記入、私へのメールなどで受け付けております。

 と言う訳で、千客万来!でお待ちしております(^-^)/。

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2007.08.24

ラッシュアワー3だ!

 いやあ、余りの暑さにブログ書く気力がすっかり失せておりました。

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 なんだかとても日本人に見えるんですよ、彼女、張 静初(チャン・ジンチュー)。福建省生まれの中国人です。映画監督を目指して中央戯劇学院監督科で学んでいましたが、卒業後は女優に転身。中国のテレビドラマなどに出ていましたが、あまり目立った活躍はなかった様です。

 しかし2004年の主演昨「孔雀 -我が家の風景-」が2005年ベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞。注目の新人として期待され始めました。YouTubeでの「孔雀 -我が家の風景-」に関するインタビューの動画はこちらです。

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 近ごろでは「ポスト章子怡(チャン・ツィイー)」とも言われていたり「期待の若手女優」とも言われていますが、実は章子怡(チャン・ツィイー)より1歳下であるだけなのです。「若手」と言っていいのかしら....。


 え〜と、そうそう、タイトルにある映画の話をしようと思ってたのに脱線脱線。まだ暑さでぼけてるなぁ(^-^;)。

 張 静初(チャン・ジンチュー)も出ている「ラッシュアワー3」、いよいよ明日より公開です。「高校教師」こと真田広之さん、渋い俳優さんになりましたね〜。

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 ええもちろん本当の主演はジャッキー・チェンでございます。そしてなぜか日本の公式サイトではクレジットされていないんですが、「お湯をかける少女」こと工藤夕貴も出ております。なんでクレジットがないのー??

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 はい、と言うわけで明日から公開です。乞う御期待!!YouTubeでの英語版ラッシュアワー3の予告編はこちらです。

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2007.07.02

伍佰15年精選輯

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 カラオケで伍佰が歌えると格好いい。

 うちは老板が台湾人で、深圳近辺の取引先の工場も台湾人が仕切っているところが多いこともあり、そう言う中ではやはり台湾キングオフライブ・伍佰が人気が高いのです。

 さて先月リリースされたこのアルバム「忘情 1015 精選輯」ですが、ベストアルバムなのはもちろんの事、DVDにPVが22曲分もおさまっています。豪華。

 どんなPVかと言いますと、YouTubeなんかでも結構アップされていますので、その一部をご覧ください。まずは「台湾製造」。台湾語ですが、歌詞は結構楽しい。歌詞の日本語訳はファンサイトである流浪伍佰的世界の「資料集」のページを辿って下さい。そこの「訳詞その他」のところで曲名をクリックすると表示されます。

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 お次は、沢田研二の「時の過ぎ行くままに」のカバー曲としても有名な「愛你一萬年」。この曲は残念ながら「忘情 1015 精選輯」にはPVはありませんが、カラオケでは定番だと思いますので紹介します。結構盛り上がりますよ〜。

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 本当はここで「雙面人」に収録されている「海上的島(ハイ・シォン・エ・トー)」を紹介したかったのです。以前はYouTubeにあったのですが、今、見当たりません。この曲はゆったりした南国・台湾の雰囲気を表現しているのが良いのでもありますが、何より范曉萱(メイビス・ファン)伍佰と一緒に歌っていると言うのが気に入りました。しかも台湾語です。彼女、今まで何枚もアルバムリリースしていますが、確か全て北京語だったかと。仕事の関係で、男性の台湾語はよく耳にするのですが、女性の台湾語を聞く機会は滅多にありません。個人的には北京語より台湾語の方が人情味が感じられる気がするのですが、それが范曉萱(メイビス・ファン)の声であったりするところが何とも嬉しい。この曲の歌詞の日本語訳も流浪伍佰的世界にあります。折角ですからYouTubeから彼女のPVも紹介しましょう。むっちゃ覚えやすい歌「自言自語」です。

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 「忘情 1015 精選輯」には「海上的島」のPVも収録されています。

 久しぶりに中華なカラオケで燃え尽きたいなぁ....。

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2007.06.24

どうなる鄭伊健のウルトラマン

円谷プロ、タイ製ウルトラマン撲滅へ

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 そう言えば以前から「タイのアユタヤにウルトラマンランドがある」とか、「鄭 伊健(イーキン・チェン)が中国版ウルトラマンに出るらしい」とか、ぽつぽつと情報があったそうなのですが....。今回の事で点在する情報がなんとなく繋がってきました。

 「チャイヨー・プロダクション」と言う会社がタイにあるのですが、この会社はウルトラマンシリーズの海外での版権を円谷プロダクションから買い取り、アジア圏での海外放映やキャラクター販売を幅広く手掛けているらしい。で、円谷プロから訴えられたりと、いろいろごたごたが絶えないそうだ。

 気になったのでググッて行くと、版権についてはいろいろ経緯があるらしく、どうも一時期怪獣ブームが去って円谷プロが傾いた時に、会社存続のために海外での版権をチャイヨーに売ったのは確か(契約自体を偽物と円谷プロが訴えたが最高裁で敗訴)。この時「タダ同然だった海外での版権を円谷プロの経営を助けるためにチャイヨーが買い取った」のか「チャイヨー円谷プロの足もとを見て安値で買い叩いた」のかは、ちょっと分からない。諸説あるみたいですが、とりあえずウルトラマンタロウあたりまでの版権はチャイヨーが持っているそうです。

 問題はこの後。ウルトラマンレオ以降から第2期ウルトラマンブームの新シリーズにまでチャイヨーが関与したり、円谷プロとは別に独自のウルトラマンを製作したり、ウルトラマン博物館を建設したりと言う部分だそうな。要はチャイヨーの暴走というところでしょうか。

 今回の判決では円谷プロの勝訴で、チャイヨーが中国向けに製作した「PROJECT ULTRAMAN」は「違法である」との事。しかし良く分からないのがこの2005年の記事。

中国版「ウルトラ」番組を制作 円谷英明・円谷プロダクション社長

....ここでは確かに円谷プロが中国人俳優が主演の中国版ウルトラマンを製作すると言明しています。そして翌2006年2月の情報ではチャイヨー鄭 伊健(イーキン・チェン)主演の中国版ウルトラマンを製作すると発表。流れを見る限りでは円谷プロ監修でチャイヨー製作のウルトラマンなのではないかと思ってしまうのですが、昨年秋から円谷プロが中国でチャイヨーを訴えると言う事態に。

 気になる「PROJECT ULTRAMAN」、当初は2006年に中国で放映される予定だったのですが、駐在の方からの情報でも「観たよ」と言うお話が全く聞こえてこない上に、訴訟沙汰になっていることもあるので、未だ放映はされていないらしいです。もし観た方がいらっしゃいましたらご一報をお願いします。予告編がYouTubeにありますのでご紹介します。(情報提供:ぽちさん。ありがとうございます。)

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 映像を見る限りではとても「ニセモノ」と言えないぐらいのレベルに仕上がっています。全52話もあるそうですが、このクオリティーで全編できあがっているとすれば、かなりすごい。恐らく日本で観ることは絶対無理っぽいですが、ご本家円谷プロのウルトラマンよりもウルトラマンに対する愛情が感じられるような気がするのは私だけでしょうか....?



↓↓関連情報(タイ語ですが写真多し)↓↓
Project Ultraman The Series Begin...!

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2007.06.08

消滅!スターフェリー乗り場

 それは去る4月1日、うちの事務所が華僑城から羅湖に移転したので、お客さんの香港空港への移動手段を事前確認すべく香港に行った時の事です。

 事務所から徒歩で20分でもう羅湖口岸。近くなったなぁ。通関をすませてKCRで一駅、上水を降りると左手にすぐエアポートバス乗り場が。A43の番号を確認。せっかくなので乗ってみた。70分で香港空港に到着。

070608_a43

 う〜ん、日曜にここまで来たのだから、ちょっと街にも行ってみたい。かと言ってエアポートバスは飽きた。エアポートエクスプレスは高い。ここはせこく青衣までバスに乗って、そこから地下鉄東涌線に。この方法が一番安いのです。

 香港島に着いて、ふと気が着いた。今日はかのお方の命日でありました。と言う訳でマンダリン・オリエンタルまで歩く。その時の写真はこちらにあります。

 日曜とは言え仕事も切羽詰まっていたのでさっさとKCRで帰ろうと思い、いつものスターフェリー乗り場に向かいました。マンダリン・オリエンタルのそばに地下通路への入り口がありますので、その階段を降り、北のスロープを上がれば真正面がスターフェリー乗り場....

....の筈なんですが、なんと行く道は塞がれておりました。工事中??スターフェリー乗り場が....ない.....

....のではなく、移転したとの事。スターフェリー乗り場は左に歩いて下さいとの貼り紙がありました。仕方なく郵便局の前をとことこ。そして郵便局の西側から北に向かう道を歩くのだそうです。


歩くのだそうです.........


歩くのだそうです.........


歩くのだそうです.........


......お〜い、


......どこまで歩かなあかんのや....


......


......


....ようやく新しいスターフェリー乗り場が見えてきました。疲れた....。

070608_ferrypier

 言っちゃあなんですが、香港ディズニーランドの建物みたいに造りっぽいと言うか玩具っぽいと言うか、貫禄のない物に変わっちゃいましたね。

 フェリーから見るとこんな感じです。

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 で、前のスターフェリー乗り場と思われるあたりはこんな感じ。乗り場が木っ端みじんに破壊され、面影も何もありません。

070608_oldpier

 すみません。実はご存じの方はとっくにご存じなんですね、この情報。スターフェリー乗り場が移転したのは、昨年の11月なのです。今さらの情報で申し訳ない。ただ、やはり自分で経験すると、あまりにショックだったので。位置的にはどう移転したのか、下の地図をご覧ください。

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 九龍側のスターフェリー乗り場からの距離ですが、少なくとも今までの航路の25%はなくなって、代わりに歩くことになりました。休日の香港での過ごし方は、今までKCRで尖東、そこから徒歩でスターフェリー乗り場に行き、中環の香港上海銀行前からトラムで銅鑼灣に向かうのがお気に入りのコースだったのですが、この乗り場ではとても香港上海銀行前まで行く気にはなれません。乗船時間も短いし。それなら九龍〜灣仔のフェリーに乗って、灣仔〜銅鑼灣を徒歩で散策する方がいいや。

 どんどん変わっていく香港。でもあの乗り場がなくなったのは正直寂しい。


 おまけ。この頃ちょうど香港電影節でした。

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2007.05.25

谷崎光さん

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 この本が出たのが1996年2月。当時はまだインターネットが一般的ではなく、パソコン通信の時代。まだ亜州明星総覧も手掛けていなかったころです。それでもオフ会なんぞはしょっちゅうあり、中国関係のオフ会では、この本がひとしきり話題になりました。中国に行った経験のある方なら同じような場面に出くわした方も必ずいるはず。

 話の舞台は大阪の某スーパー系列の中国貿易会社。会社の窓から東急インが見えると言うことなので、これは江坂のあの会社だろう、とかみんなで酒の肴にしておりました。出張した先は、おそらく1990年頃の中国。今となっては浦島太郎みたいな部分もありの、でも本質はやっぱり変わっていなかったり。

 ご存じの方も多いと思いますが、1998年に松竹で映画化されました。主人公:光は、今や三谷幸喜の奥さんとなっている小林聡美。上司の王課長は、今やハリウッドスターとなった渡辺謙。その奥さんにはSAYURIでこれまたハリウッドデビューした桃井かおり。菅野先輩役には、 姜文(チャン・ウェン)監督の「鬼子來了鬼が来た!)」で日本兵を演じた香川照之。この人、去年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で六平太の役でした。そして要領のよい香港人の陳課長には鄭浩南(マーク・チェン)。う〜ん、今考えると凄まじいキャストだな〜。

 残念ながらこの映画、未だDVD化されていません。上映後にレンタルビデオ店も当たったんですが、私の知る範囲ではビデオもみつからず(だったら買えよ)....。観たいんですが、まだ観てません。DVD出ないかな〜。結構中国駐在関連の方々が買うと思うんですけど....。

 処女作出版後、中国に関するもの、関しないものを含めて何冊か出ていますが、興味を引くのはやっぱり中国関係です。

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 この本は2003年の終わり頃に出ましたから、私が今の事業を始めて、深センと大阪を行き来するようになってからのお話です。昨今の中国事情が、けっこう詳しく載っています。

 身につまされたのが、SARS渦のさなかに北京に滞在し続けた話。私、その頃は日本の某事務所に所属して、そこから東莞の長安鎮に出張していました。2月下旬から3月下旬に長安滞在。今思えばこの時期が広東省で一番ピークだった様です。で、4月20日頃から1ヶ月の予定でまた長安鎮に出張。すでに広東省は落ち着いた状態だったのですが、間もなくして北京にSARSが飛び火。日本でかなり頻繁に報道されるようになりました。するとやおら帰国予定日を前にして「帰国するな」との指令が....。あの〜地図見たら分かるんですが、北京〜東莞より北京〜大阪の方が近いんですけど.....などと言ってもどうしようもありません。もう「中国!あ〜恐いっ!」と、おそらく日本全体がヒステリックな状態だったのかも。結局さらに1ヶ月を長安鎮でもんもんと過ごし、6月20日にようやく帰国した後は10日間の自宅待機。滞在中は精神的にもごっつう辛かったです。

 谷崎さんは北京のまさにSARS蔓延地区に住んでいて感染をも覚悟していたそうです。日を追って書かれていて臨場感たっぷりですが、そんな中でこの部分には苦笑しました。

「しかし、正直に言おう。こりゃ、なるかも知れないと覚悟した私だが、日本人で一番はさすがにイヤだと思い、真剣に、(誰か先になってくれんかな〜。後の方だと目立たなくて済む)と考えていたのである。カミサマ、罪深い私をお許しください(笑)。」

....私も同じようなことを考えてました、ハイ。もし日本で発症者が出ていたら、出張帰りの人間をヒステリックにバイ菌扱いするような事もなく、SARSの出た地域でどう暮らしていくのかを日本に暮らす人々が我がこととして真剣に考えるようになっていたんじゃないか、と。

 谷崎さんの本は読みやすく、肩ひじ張ってない。お読みになった駐在の方も多いはず。せっかくですから他の本も紹介します。

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 学生の頃から「書く」ことが好きで好きでたまらなかったと言う谷崎光さん。もしかしたらブログもあるやも、と、ググってみたら....あっさり見つかりました(^-^;)。

谷崎光ブログ 中国てなもんや日記

 今、北京に住まわれているそうです。日記の文体は本そのままに、肩ひじ張らず。読んでて共感することも多し。これからの活躍も楽しみです。

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